雑感

1981年8月19日

孤立を恐れなければ、制約されるものは何もない。

1981年8月24日

〔間〕その沈黙の間に情念の持続が存在する。それを感じさせる様にするためには表現者の側に極度の集中力が要求される。何も存在しない〔間〕に、その前後の関係づけを読みとろうとする所に、我々の芸術の特質があるのかもしれない。この〔関係づけ〕ということについて考えてみたい。それは思考的なものや、いわゆる構造的なものではなく、感覚的なもののような感じがする。あるいは別の構造に属する何か。又、ショックは我々の感性を目覚めさせる。これも又ショック自体よりも、それがどの様な所で置かれるかによってその効果が異なってくるだろう。構造(乃至は構成)が問題だ。それが整理されているか、簡潔であるかどうかではなく、それらも含めた構造こそが問題だ。徹底して意図を実現させる構造こそが。

1988年1月25日(月曜日)

表現を言葉に直す(文章化する)という作業。と同時に楽譜に書き表す(音で表現する)ことも同じ比重でしなければならない。殊に音の場合は現在のところ“ワープロ”のような道具が無いので手で書いて繰り返し推敲する作業に耐えなければならない。この点ではベートーヴェンの頃と殆ど変わってはいない。作品を書く場合に推敲する労を厭はない(最低限ベートーヴェンの水準迄)こと。“文章化”の方はこのスタイルで当面はやって行く。

1988年2月2日(火曜日)

集積される事が、今の時代の一つの特徴と言える。極度に集積され、高度化されたものと今までに蓄積された歴史的成果を相対化するような全く新しい地点からのアプローチ(既成の物の解体)が現在、芸術に要求されている(大衆の無意識の中で)物だ。『マトリックス(大規模集積回路)とハイ・テクノロジー』それらに象徴される物に今我々の感性は対応していかなければならない(そうせざるを得ない)。新しい感性を持たなければ成らない。音楽(芸術)は今、真に必要とされる。

1989年1月15日

やさしい言葉(?)で語るのと同じように、音楽も分かりやすくあるべきだろうか?始めに前提になるものは『コンセプトだけで作品は成り立たない』というテーゼだろう。又は『コンセプトが良いだけでは作品にならない。』ということだ。観客(聴衆)の眼(耳)は贅沢に非常に贅沢に成ってきている。だって、誰が説明されなけれは分からないような作品にこの忙しい時、付き合ってくれるだろう?い ま『良いコンセプトとは感じられるものでなければならない。』これが〔現在〕という時のなかでの最も重要なテーゼになる。〔現在〕書かれなければならない作品は歴史上最も貪欲で退屈しきっている観客(聴衆)に対して語りかけられる言葉(音)を持たなければならない。逆に言えばその言葉(スタイル)を発見する事が〔現在〕作品を書くという行為そのものになる。→『自分の聞きたい音楽を書く』

1989年4月3日

まず、何かを書いて表現することから始めなければ、せっかくワープロを持っているんだから。とにかく、これは作曲の場合も同じだけれども、頭の中で考えているだけでは駄目なので、不思議なもんだが、これが文字にして(音符にして)みるということで奥行きと構造がその表現の中に誕生する。これは必然的にそうなんだから仕方がない。そうやって見てゆくと今まで曲の時に考えていたように、どんな構造にするか(Form )について苦心することは余り重要な事では無くなってくる。疲れた! しかし、書く気がしない。言葉は何かを考えている速度で打たれていけば、限り無く思考の速さに近づけると想うのは、素人の赤坂見附なのかもしれない。こうやってどうでもいい事でも何でもいいから、書いていくことが(おそらく)とても大切な事なのだ−作曲に関しても−。

書かれた世界を構築する

『構築』なんていう難しい言葉を使ってみても、やることは同じ事だ。

1989年4月7日

とにかく何か書こうと思ってキーボードに向かってみても、とりあえずは何も浮かんでこない。まず〔モティーフ〕を探す、何が自分にとって緊急の〔モティーフ〕なのか?と、ほらこうしていけば段々とみえてくるじゃあないか。現在自分にとって最も切実に必要なもの また表現の水準(レヴェル)を見定める−より低次元(俗)に−。より高度に、より密度の高いそしてより低俗な世界を表現する。大胆に他人(自分)を気にせずに表現する。

1989年4月12日

作曲をし発表をすることは自分の裸体を晒すようなものだ。ある意味で羞恥心があると表現行為は成立しない。一般的に言えば作家(表現者)とは一種の精神的な露出狂である。

1989年5月17日

物語を形成しようとする力(パワー)は何処から来るのだろう。日常と異なる流れの中に否応なく取り込まれることによって生まれる。結局は伝えたい(コミュニケーションしたい)と言う欲求がなければ書く必要は生まれない。それはリアリズムともまたちがった“リアルさ”を要求している。

1989年12月16日

空白の時に,私は浮かんでいる。
記憶の堆積、圧縮された時間。
果てしない路のなかで私のこころは‥‥‥‥
空白
その空白のなかで
私はいま

1990年1月7日

世間で元号が平成に変わって二年目になったのに我が家のワープロは頑固に昭和65年としか変換しない。いつまで昭和がつづくのだろうか?8時間の睡眠と2時間の食事、芸術家はどんなに忙しくても寝食を忘れてはいけない。

1990年12月17日 “Arboraceous for 4Contrabass ”

そして、ついに世界が一本の木になる時
音は人の思惟の枠から解き放たれ
自然の営みの中で木の歌を歌い始める.
「木のように」−4cbのための−

Arboraceous:樹木のような, 樹状の. 樹木の茂った.

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